「若い頃はうまく行っていたようですが、結局73歳で亡くなっています。一度も若返りは起きていないようです。若い頃うまくいったのは、腎の機能が十分上がり内臓の機能が連動して上がると胃腸の機能もあがるので、玄米菜食で十分な栄養が取れたからだと思います。ところが、年を取って腎の機能が低下すると内臓の機能が十分に上がらないので、栄養が十分摂れないために腎の機能もさらに上がらなくなるという悪循環に陥り、布団から起き上がるのも困難になったと推定しています。肥田春充は寝た状態で腎の機能を上げる方法を考案しています。実を言うと、肥田式に必要なのは、彼が床を踏み抜いたという型だけです。布団の中で肥田式をする必要はないのです。」

「布団の中で肥田式を一度しないと、立ち上がって肥田式をするのが困難だったということですか」と町会長。

「おっしゃる通りです。」

「肥田春充が教えていたのは、一つの型だけではないのですか」と町会長。

「『肥田春充』で画像検索をすれば、本人がしている色々な型が見つかります。僕が買った単行本にも色々な型が紹介されていました。」

「一つで済むのに、なぜそんなことをしたのでしょうか」と町会長。

「文庫本を2冊読んだだけなので、はっきりした理由は分かりません。多分、経絡治療ができなかったからでしょう。鍼灸で体を緩めると、好転反応と呼ばれる問題が出ることがあります。人間は老化して死ぬように進化しているので、体を緩めて若返る方向に変化させると様々な問題が出てきます。肥田式は腎の機能が上がって延髄が緩むため、鍼灸の治療とは比較にならないほど体が変化します。マッサージと皮膚を亀の子タワシでこするだけでは好転反応を処理できなかったので、部分的な問題を解決するために色々な型が必要だったのかも知れません。」

「肥田式は好転反応が出るのですか」と町会長。

「そうなんですよ。一つの型で済むので、メールでやり方を教えておいて、2~3回やって見せた人が肥田式ができるようになっています。その人は膝が緩んで卓球のフットワークが驚くほど早くなり、動体視力も大きく上がりましたが、『四十肩とバネ指になった』と言っていました。30代ですから、今時、四十肩になる人はいません。『皮膚の色が日に焼けたように変化したのが肥田式で腎の機能が上がった証拠です。肩の痛みやバネ指は好転反応です』と言ったら納得していました。」

「バネ指になったのは、指が緩みかけているということですか」と町会長。

「おっしゃる通りです。驚いたことに指が緩み始めています。息子は自力で指を緩めることができないので、その上のレベルに達したことになります。」

「どうして上のレベルに達したのでしょうか」と町会長。

「息子は昔から独自性こだわっていて、肥田式をやるときの気合を独自のものにしています。それより問題なのは、陰の本を100冊ぐらい持っていることです。梅澤さんは、奥さんも陽だというくらいの陽好きなので、陰の本を持っていなかったのかも知れません。肥田春充も、お父さんが残した医学書の中に陰の物があった可能性があります。ご存知のように医学書は陰の物が多いです。」

「陰の本を持っていると指が緩まないのですか」と町会長。

2019/10/3

※その後の研究で、現生人類は肥田式ができないのに『肥田式ができた』と勘違いするように脳が進化していることがわかりました。しかし、指がばね指になった人は、間違いなく肥田式ができています。肥田春充が指が固まったまま肥田式ができたのは、経絡的な進化により三里と腰椎5番に硬結がなかったため推定しています。(2022/5/17)
※肥田式の原理は、延髄が緩むと骨が連動して緩むところにあるのですが、僕の場合は、中心線を後頭部にある亜門というツボから丹田、大腎兪を通るようにイメージしたとき、延髄は緩むのですが、指はかすかに緩む程度です。効果が小さいのは、現生人類の祖先が熱中症になったとき三里と腰椎5番に大きな硬結が生じたためと推定しています。肥田式ができるようになったのは、三里と腰椎5番の硬結を緩め続けているためです。(2022/5/17)